量子情報科学の研究を行う川上恵里加さんへのインタビュー
在日フランス大使館「Portraits de femmes en sciences」掲載(2023年2月)
川上恵里加博士はマルセイユ中央理工科学校と慶應義塾大学のダブルディグリープログラムで修士課程を修了しました。その後、オランダのデルフト工科大学の博士課程で量子コンピュータの実現化に向けた研究を行い、2016年に同大学で博士号を取得しました。帰国後、沖縄科学技術大学院大学(OIST)で博士研究員として研究を続け、2020年9月からは理化学研究所(RIKEN)で自身の研究室を持ち活躍しています。
学歴と職歴をおおまかに教えていただけますか?
私は慶応義塾大学で物理学を専攻していましたが、海外に渡ったことがほとんどなく、ぜひ留学をしたいと考えていました。慶応義塾大学にはフランスの中央理工科学校とのダブルディグリープログラムがあることを知り、応募することに決めました。フランス語は大学で2年間学んでいましたが、マルセイユ中央理工科学校での授業が始まる前に、ヴィシーで2カ月間の集中語学研修にも参加しました。それでも最初の頃はフランス語で技術的な話になると、ついていくのが大変でした。すべての授業がフランス語だったので、修士課程の科目とは別にフランス語の勉強もしなければなりませんでした。私にとっては初めての海外生活で、家族や友達から遠く離れ、大変なことも多くありました。困難な時期もありましたが、この経験が私をもっと強くしてくれると確信していました。フランスでの滞在は私にとって貴重なものとなり、フランスの方々の支えに心から感謝しています。未知の文化の中に身を置くのは楽しいものですが、とりわけフランス文化は自分に合っていたように思います。
2009年にはマルセイユ中央理工科学校のある物理学の教授のおかげで、イタリアのフィレンツェ大学で量子コンピュータ理論のインターンを行うことができ、研究の世界に初めて触れる機会となりました。
そして私は、その後も研究を続けていくことを念頭に置き、修士課程を修了するために日本に帰国しました。ある博士課程の先輩に、量子計算に関する最も将来性がある現在の実験を聞いたところ、ヴァンダーサイペン博士の論文(Vandersypen et al., 2001)だと教えてくれました。ヴァンダーサイペン博士の博士論文を見つけて読み、ある程度の量子情報の基礎を修得しました。論文の参考資料にあったMATLAB関数を学び、自分で構築した装置でデコヒーレンスのシミュレーションに適用しました。
1年後、中島記念国際交流財団の海外留学奨学金に採用されました。フランスでの留学生活が実り多き経験となったので、ヨーロッパに行きたいと思いました。ヨーロッパの国々を調べていたところ、当時、ヴァンダーサイペン先生がオランダのデルフトにいること、そして先生が量子情報の新たなプロジェクトを開始することを知りました。それから博士課程に受け入れてほしい旨のメールを準備するのに2週間かかりました。というのも、遠方の国にいる見知らぬ学生を真剣に受け止めてくれるのか疑問だったからです。2011年3月11日の東日本大震災1週間後、私は面接のためにデルフトに向かいました。
フランス留学がなかったら、オランダでの博士課程も、これほど国際共同研究に関わることもなかったはずです。まさにフランス留学は私のキャリアの出発点でした。
量子情報とは?
現在のコンピュータの構成素子であるビット(古典ビット)は2つの状態(0と1)を持ちますが、量子ビットは0か1のどちらか一方の状態に限らず、複数の状態を同時に持つことができます。量子情報は「量子重ね合わせ状態」と「量子もつれ状態」と呼ばれる量子に特有の状態を活用しています。
- 量子重ね合わせ状態:量子状態は0と1の両方の状態を同時に持つことができます。
- 量子もつれ状態:1982年、フランス人物理学者のアラン・アスペの研究チームが、「量子もつれ状態」の正当性を実験的に証明しました。この物理現象は1930年代からすでにエルヴィン・シュレディンガーとアルベルト・アインシュタインが理論的に提唱していました。この現象によってある2つの粒子は互いに影響し合う量子状態となり、空間的にどんなに離れていても相互作用します。
量子ビットの量子状態はさまざまな種類の粒子から実現することができ、川上博士は電子を使っています。
主要な研究テーマをお聞かせください。
私は実験物理学者で、量子コンピュータの実現化に取り組んでいます。より具体的に言うと、ヘリウム液面上の電子を用いた研究を行っています。この方法を用いて高い信頼度を持つ量子ビットの実現を目指しています。
ヘリウム液面上の電子を用いて高い信頼度を持つ量子ビットが実現できることは、理論的には示されていましたが、実験的には多くの困難があります。そのうちの一つが量子状態の測定です。2019年、沖縄(OIST)で博士研究員だった時、研究チームの仲間と新たな量子状態の測定方法を開発し、ヘリウム液面上の電子を用いた量子コンピュータの実現により近づきました。
なぜこの研究テーマに専念されているのでしょうか?
私は高校生の頃から、世界を記述する物理学的思考に魅了されていました。私たちが日常生活で行っている世界の見方とは一見相反する法則もありますが、物理法則は思いがけない方法で世界を解き明かしてくれます。量子力学では、1つの物体が2つの状態の「重ね合わせ」状態をとることができ、また、測定の影響を受けて変化します。この量子力学の不思議な性質でしか説明できない実験結果が出るたびに、世界に対する私たちの認識がいかに曖昧で、科学的に考えて行動することがどれほど重要かを思い知らされます。この量子力学の不思議な性質を利用して、社会に利益をもたらす新たな技術を開発したいと思っています。
技術は量子コンピュータ実現を目指せるところまで到達していると思っています。例えば、ムーアの法則が示すように、トランジスタサイズは時とともに微細化しました。今ではかなり小さくなっているので量子効果を無視することはできず、だからこそ量子技術を研究することは当然のことに思えます。量子コンピュータが実現化された暁には、物理の世界の新たな発見にも利用できます。
同様の道に進みたいと思う若い人たちに対して、どんなメッセージを伝えたいですか?
若い人たちには年長者の助言に耳を傾けすぎないで、自分の直観に従ってほしいですね。
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